鳥静の歴史
鶏肉も扱っていたためこの名前になる。
当時の瀬戸では窯焼き職人が窯の番をしながら窯の残り火で安くてスタミナのつくホルモンを食べている光景が
あちらこちらで見られたそうです。それが広まり瀬戸の焼肉といえば「ホルモン」とまで言われるようになりました。

▲食肉処理場にて 先代(父左側)と肉屋仲間

▲最初のお店

▲昭和52年頃
手狭になった前のお店から移転しました。
相撲の名古屋場所がやってくると関取衆がやってきて
うちのホルモンでスタミナをつけて場所に望んだそうです。

▲昭和30年頃
市内中心部国道沿いに移転しました。

▲現在の瀬戸の風景
毎年9月に行われるせともの祭は何万人ものお客様で溢れ返ります。

▲正面、小高い森の中には陶祖が祀ってある
窯神神社があります。



